今日の産経新聞の梅田望夫誌の論評は、多くの示唆を含む内容であった。
梅田氏はこれまで、ウェブの進化を比較的オブティミスティクに捉え、少なからずそれに影響を受けていた私としては、下記の見通しはいまだ解釈しかねている。
(以下、本日の産経新聞1面から引用)
これからのウェブ世界は、こうした欧米の価値観やイデオロギーに強く牽引された「共有地たるグローバルウェブ」(主に英語圏)と、「政治体制や文化・言語圏に閉ざされたローカルウェブ」がせめぎあい、分断されて林立する時代を迎えるのであろう。
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/100131/its1001310248000-n1.htm
(引用ここまで)
「ウェブ」と「インターネット」と「ネットワーク技術」は、同義ではないけれど、インターネットが現代のコミュニケーションの中心にあることは明白で、その共有地たるインターネットが米国を中心に運営されているのは、米国とイデオロギーを異とする社会からは不満もあるであろう。
中国のインターネット検閲が大きな問題となっている。中国政府からすれば、国家体制を維持するために、ウェブ上の政府に批判的な通信を制限しようという発想は理解できなくもない。また、中国国内でインターネットが自由にアクセスできないことは、米国がテロリズムを抑え込むために、空港で利用者にさまざまな不便を強いていることと、ある意味で同じなのかもしれない。空港で靴を脱がされたりペットボトルを没収されたりすることはおかしいと、もし他国が異を唱えれば、米国はテロリズムから国民を守るためだと言うであろう。それと同じように、ウェブの検閲は中国政府が一部の反政府分子のテロを抑え込むためだとするであろう。
我々からすれば、生まれたときから民主主義の中にいて、その繁栄を享受しているため、その体制に何ら疑問を感じないが、世界に目を向ければ、その価値観は普遍的とはいえない。もし13億人の中国国民が、われわれと同様の民主主義を望んでいるのであれば、当局がどんなに規制をしようと、抑えきれるものではないだろう。それは、ベルリンの壁がなくなった歴史からも明らかである。
インターネットは、西欧諸国の繁栄と表裏一体に、その中心的な位置づけを獲得したのであろう。しかし、今後、西欧諸国の成長が頭打ちになる一方で、中国やインドが高度成長を果たし、経済的覇権が進めば、第2、第3のインターネットが発生することもあるかも知れない。そのネットワークで、安くて品質の良いものが手に入るのであれば、世界中の消費者は新たなネットワークに接続するだろう。グローバリズムは経済力の相対的な価値のバランスの上に成り立っているのではないだろうか。
梅田氏は論説を「グーグル中国問題は、そんな21世紀のウェブ進化のひとつの方向性を示唆するものである。」と結んでいる。ネット世界の分断しうる方向性に対して、米国政府が台湾に武器を輸出し、溝をさらに深めるような決定を下すことには、違和感を感じる。グローバル化の進展において、価値の多様性を認めることこそが分断を防ぐ重要な一歩であり、中国のネット検閲もある程度容認すべきであろう。もちろんサイバー攻撃のような犯罪行為には断固抗議すべきであるが、武力的緊張を高めるのは無益である。
中国当局の検閲問題は、それを批判せずとも、しかるべきネットワーク技術の開発により自由に通信できるインフラを提供すれば済む話である。グーグルの技術と資金があれば、そんなことはたやすいことではないかと思うのだが。